曰く、「文字で書けるような簡単な内容をいちいち図にするな」

僕は友達が少ない』がdisられてましたがそれに関して。


平坂読は太字や拡大/縮小フォントや顔文字や変形段組なんかを多用する作家で、作品を読みやすくかつ面白くするために一歩踏み込んだ工夫を重ねる姿勢については、すごいなあ立派だなあと常々思っております。
今回の文中への図の挿入につきましては、たとえわずかな差でしかなかろうがほんのちょっとでも文章やイラストより図で説明する方がよりわかりやすいと判断したら迷わず図で説明するのだ、という平坂読の徹底ぶりが示されておりそこはむしろ褒めたっていいのではと思いますが、しかし一方で挿入された図がその後あんまり活用されないので「この図は必要なんだろうか?」と疑問を抱く人はまあいるかもしれないなあとも思います。
レベルの低下などと言われるとイラッとしますけどねー。


なお『僕は友達が少ない』における工夫した表現なのかでは、5巻227頁にある志熊理科のセリフ「気づいてたなら言えよおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」の拡大フォントは強く印象に残ってます。
このくだりって前振りがかなり長くて、その前振りによってそれと分からぬまま配されていた事情と感情がこのツッコミの瞬間に顕在化します。文意を強調する演出のなかでも拡大フォントは最も無駄な描写を省いて文章をスリムにできる表現ですが、ここの理科のセリフは盛り込まれた情報とそれが読者に与えるインパクトを一点に凝縮するというより積極的な意味をもとめて拡大フォントを使用してるんですよね。僕はここで理科派に転びました。
古橋秀之石川博品も拡大フォントを使ったりしますけど、上記の平坂読の使用例がマイベスト拡大フォント芸です。


また、『僕は友達が少ない』1巻の最初の章タイトルが「プロローグというかキャラの顔見せというかツカミのようなもの」で、第一行目が「最初に言っておくが、これは幻覚だ」でありまして、作者・平坂読と主人公・羽瀬川小鷹の境界が曖昧にした一人称での物語の記述を行っています。
ですんで、よく文中の図を矢印で指し示したり、セリフの中に顔文字が入ってたりしますけど、作中リアリティのレベルは一貫していて揺らいだことはないです。作中リアリティのレベルを意図的に混乱させるネタは結構好きですけど『僕は友達が少ない』ではそういうネタは成立しません。もしくは常に一定の混乱が起きているといってもいいかもしれませんが。
メタネタ自体は好きです。ラノベにおけるメタネタは登場人物と読者が友達になる瞬間だと思うんですよ。ブラウン管のむこうからにゅっと手が出てきて握手するみたいな。ラノベにおけるもっともラノベらしい瞬間のひとつであるとおもいます。