そうでない読みもできるっしょ(けもフレ2について)

pencroft.hatenablog.com

けもフレ2悪意説がもはや界隈の主流になってる感がありますね。うーむむむ。

 

けもフレ2については、アラはたしかに多い作品だったかなとは思います。 

また、たつき監督に悪感情を持っているスタッフがいるというところまではまあそういうこともあろうと思います。

でも作品に悪意を込めたスタッフがいるかどうかはそれとはまた違う問題ですよね。

仮に100歩譲って、メインスタッフにけもフレ2にけもフレ1とたつき監督への嫌味を込めようとしたひとがいたとしてですよ、けもフレ2に関わったスタッフには悪意あるものとそれに諾々と従う腰抜けしかいないのかって言うとそんなことはないでしょう。

けもフレ2にはけもフレ1へのリスペクトがある、もしくは少なくともリスペクトがあるように解釈することも可能になっているはずです。そうでないと1に悪感情をもっていないスタッフが同じ船に乗れないですから。

 

けもフレ2では、主人公のキュルル、かばんさん、イエイヌによって、過去にこそ良きものがありそれは失われてしまったのだということが繰り返し描かれます。良いものは現在ではなく過去にあるんです。

そして最終回において、キュルルは失った自分のおうちを現在のなかに見つけ出し、かばんさんは今は別々の旅をするサーバルと未来の再会を約束し、ご主人の帰らぬおうちを守り続けるイエイヌは過去からの贈り物を受け取ります。どの態度も否定されることはない。

ここに、喜ばしくない後日談のついたけもフレ1という作品の後を受けその先へ続けていく作品として、その現在から過去への敬意をもった姿勢が示されていると自分には見受けられました。

かばんさん周りの設定のよくわからなさについても、ありえたはずのかばんちゃんとサーバルちゃんのゴコクチホーの冒険に踏み込まないために必要なことでしょう。

 

と、そんな風に自分は思うんですが、あんまり一般的じゃないっぽいんですよねー。

けもフレ2に1へのリスペクトを見る解釈が全然なされないのはあんまりだと思うので、今後もたまに思い出したら言及していきたいところではあります。