『風立ちぬ』感想

風立ちぬ』見てきましたけどかなり良かったです。
 ・二郎カッコイイすね。宮崎駿は特にもののけ姫以降、力強いアシタカ、凛としたハク、ミステリアスなハウル、理想的5歳児の宗介って具合にイケメン男子の描写には力を入れてましたけど、二郎はそのへんと比較してもトップクラスかつ全く違った類型の大威力イケメンぶりを発揮しております。まだこんな引き出しがあんのかよハヤオさすがだなと思いました。
 ・まあ全部が全部全く新しいわけじゃなく、秀でた額とメガネと夢を追う姿勢からはああこいつは「かっこいいムスカ」なんだなあと思われますが、高い知性ゆえの不遜なまでの揺るがなさや、いつもぼんやりしているような芸術家肌の天才ぶりはかつて見たことのないもんです。あと庵野秀明もそりゃうまくはないですけどよくハマってました。
・美術がまた良いです。非常に場面転換が多い映画でパッパ、パッパと背景が切り替わるんですがそれがいちいち良い。コストかかってますナ。こういうのは魅力ある一方であんまりじっくり見せられると飽きてしまうものですが、場面の切り替えや電車に乗りながらなどの動きのある場面が多いために飽きさせません。
・トトロやもののけ千と千尋とは映像の質感が違いますよね。背景はただ背景であり、物質には霊力は備わらない。軽井沢にコダマがいるわけもなく。けれど、少なくともこの作品に関してならそれは別に欠点ではありません。時代がからず、幻想的にもなりすぎず、過剰な意味を与えられることのない背景美術は、あくまで人の住む世界として、また当時における現在として、風とおし良く美しいです。
・ヒロイン菜穂子はメイ系を除いたジブリヒロインの集大成みたいなキャラクターでしたが、それに限らずセルフパロディみたいなシーンがちょいちょいあります。でもそれにたいしてあんまり否定的な気持ちにならないのはハウルやポニョよりだいぶ脚本がまともだからでしょうなあ。むしろ千と千尋よりあとに作られたスタジオジブリの佳作・凡作・失敗作群も無駄にはならなかったんや!と思われました。や、ハウルとか結構好きではあるんですけどね。

二郎と菜穂子

・二郎と菜穂子の関係は見終わってすぐは抵抗がありました。なんだかんだで男に都合のいい話ではありますし、例えば僕の母なんかは仕事人間の父に苦労させられてきたんで、ちょっと一緒に見に行く気にはなれん映画ではあります。
・ただ、それだけで二郎と菜穂子の関係を言い表せるかというともうちょっと複雑で。
・二郎は英雄的人物です。英雄ってのは、オレ定義で申し訳ないですが、「大業を為すが人を救わず、やがて死ぬ」人物です。ヤマトタケルとかね。仮面ライダー的なヒーローとの対比としてワードです。その両方が交じり合ったキャラクターも多いですし、二郎が人助けをするシーンも何度かありますが、基本的には二郎は前者よりのキャラクターです。
・けれど二郎は伝説の中の英雄ではなく、あくまで歴史の中の人間に過ぎません。そもそも少年二郎が挫折するところから始まってる話でもありますしね。その二郎がなぜ英雄的人物としてあることができたのかと言えば、それはもちろん菜穂子のおかげであります。
・では菜穂子はどんな人物であるか。二郎はその職分においては天才ですが、人間との関係においては属性は善ではあるもののペラッペラの人間性しかもたない人物です。一方で二郎を支えた菜穂子も、これもやっぱり超絶可愛いけどそれ以上の人間ではない。
・菜穂子は働かないんですよね。宮崎駿作品らしからぬことに。病気だからなのはもちろんありますが、そもそも家事などまるっきりできない可能性が高い。お嬢だから。
・母の死と自身の病によりお嬢様以外の何かになる機会を逸したままこれまで生きてきて、かつ余命幾ばくもなく今後お嬢様以外のものになれる可能性も奪われているのが菜穂子です。だから菜穂子は山を下り、かつて見た夢をある種の作品として形にすることを選んだ。菜穂子は飛行機には一ミリも興味がありませんが、夢を形にすることに固執している点では二郎と相似しています。
・九試単のテスト飛行の日、二郎の夢が形となったことを確信した菜穂子は二郎のもとを去ります。それは病による容色の衰えを見せぬため、溜め込んできた二郎への不満や死への恐怖を吐露せぬため、そして自分自身の薄っぺらさを隠すためであり、作り上げた美しい夢を汚すことを恐れたがゆえです。
・さて二郎は伝説的名機を作り上げましたが、菜穂子は死に、日本は戦争に負け、二郎の飛行機は敵味方ともに多くの人間を殺しました。けれど二郎は死ねなかった。
・ラストシーン、カプローニとともに夢のなかにあらわれた菜穂子は「生きて」と呼びかけます。その先にあるのは人間としての人生です。英雄的ではない、長くて不格好な、けれどけして意味の無いわけではない人間としての人生を「生きて」と。
・薄っぺら薄っぺら言いましたけど、菜穂子がいろいろなものを飲み込んだ上でなお「生きて」と言える人間であることもまた描かれていたと思いますし、その『生きて』と言うセリフにその先にある堀越二郎のその後の人生と、さらに宮崎駿フィルモグラフィーおよび今まさに鑑賞している『風立ちぬ』というなかなか悪くない作品の存在がオーバーラップしてぶっちゃけ感動します。
・パンツを下ろすの下ろさないのみたいな話があるようですが、その喩えで言うならこの瞬間、パンツいっちょで粘っていた宮崎駿がこの「生きて」のセリフとともに一気にパンツを下ろす、そういう映画であるなあと思いました。