「越境」するライトノベル
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この辺を読んで感想。印象論な上まったく纏まって無いけどメモ代わりに。


中学生くらいのときだったか、図書館で借りた中公のCノベルスとか角川スニーカーブックスとかプランニングハウスの「ファンタジーの森」だとかが大好きだった覚えがあるもんで、ライトノベルが文庫だけかっていうと疑問に思います。
また同じ頃に読んでた、軽めのファンタジー・SFやハイティーン向けの児童文学・青春小説とライトノベルがどのくらい違うのか僕にはようわかりません。
それからちょっと昔のライトノベルってもっといろんな種類の駄作があった気がするんですよね。海外ファンタジー・SFの劣化版みたいなのとか読んでて全然意味がわからないのとか。それにイラストも下手糞なのがいっぱいあった。技法も洗練されて無い感じがして、色もなんか絵の具っぽいみたいな。
また、そういった作品の呼称はヤングアダルトとかキャラ小説とか「表紙が漫画のやつ」とかで全然安定しませんでした。
んで、何が言いたいかと言うと、2000年前後から何年間かが、ライトノベルがたった数種類のレーベルの中に押し込められていた衰退期だったんじゃねーの?ってことです。そして、本来なら別々のものであるはずの、軽さとかキャラクター性とかオタク向けとかイラストつきとかって特性を不可分のものとして結びつけ纏め上げ、また他の分野から隔離していたのが、「ライトノベル」っていうくくりだったんじゃないでしょか。そう考えると最近のラノベ的な特性の拡散も当たり前だったはずのことなんじゃないのかと思います。


ただ、文庫とノベルスとの間の交流はかなり例外的かもしんないですね。まあ文庫間でも交流は少ないですけど。でも例外を挙げていくと意外とたくさんいるかも。どっちだ。
あと昔のコバルトとか、少女小説にはいろんな人がいる気がするんですけど。赤川次郎とか。
そいからラノベ史的に宇宙皇子ってどんな位置付けになるんでしょうか。