ラノベの歴史上の重要さとしては際立っているスレイヤーズブギーポップですが。
スレイヤーズとブギの違いで目立つのはヒーローに対するスタンスね。
スレイヤーズは初手から最強キャラみたいなとこがおきて破りだった(らしい)。一方のブギは、アレは物語全部につきあえるような奴はヒーローであって俺らのあずかり知らぬ話であり、普通の僕らは怪異の断片に触れてわけのわからん恐怖を覚えるのが精一杯だろうっていう実感を、視点人物の違う短編を積み重ねることで真相が浮かび上がってくるというある種のミステリ的な喜びとして纏め上げてるわけで、作品の構造からしてヒーローが存在できなくなってる。
そんなブギのヒットにより、異世界ファンタジーに代わって普通の子を主人公に据えた上で思春期心性をファンタジー的に描くような話が流行るようになり、厨房センスにいかに寄りそうかが売れ行きの決め手になる、と。


もちろんいきなり変化した訳ではないだろうけど。オーフェンでは主人公の個人的な事情がストーリーの中心にあるし、主人公自身も人を殺せない、つまり英雄になりきれない子だ。


さてさて。
エポックな作品になるかは知らんけど、ここ最近でいちばん流行ったラノベハルヒであります。
ハルヒもブギの末裔のひとつであるつーか、『〜笑わない』の第4章の「君と星空を」とかはかなり『〜の憂鬱』くさい話だと思うけど、まあともかく、にもかかわらずブギで大事な要素だった都市伝説がハルヒにはない。つーかそういうのを主人公が否定するところから話が始まる。
個人の人生なんか飲み込んじまう日常ってイメージはブギでもハルヒでも共通してるけど、ハルヒには薄皮一枚向こう側で非日常が口をあけてるっていう感覚はない。野球場の5万人は5万人全員の顔が見られる。時代の変化だねえ。スーパーフラットな世界ってやつ?


なんてことをココで「ウパ日記」さんに絡みながら考えました。あとあらためて上遠野はJOJOが好きすぎるですね。おもくそ第4部です。

ところで

さて次の企画は」さんのコレとかその続きのコレみたいな不殺がキーワードになる話は、ラノベにおいてはオーフェンだよね。どんぴしゃで。
それに、オーフェンは14〜15歳のときに失敗したことを20歳になって取り戻そうとする話だ。結局また失敗するけどさ。


いやしかし無謀編は面白い。というか俺はコギーが好きすぎる。婿にいきたい。

そういや

スレイヤーズオーフェンも閉鎖世界の話だなあ。あれか、十二国記とか藤崎竜の諸作みたいなゲーム的な箱庭世界とあわせてセカイ系以前の厨房センスの発露の仕方か。
なんにせよえらく世界への信頼がないことだな。思春期の挫折が世界への不信につながるとかそんな感じですか。


こういうのはSFや児童文学に話を広げれば同系統の先行作はいっぱいあるんだろうけど。うーん、いいかげん『エンダーのゲーム』は読むか。
閉鎖的な児童文学って言うとロバート・コーミアとかかな。読んだことないけど。読もう。
世界はゲームという話ならダイアナ・ウィン・ジョーンズが『ダークホルムの闇の君』や『バウンダーズ』っていう極めて性格の悪い話を書いてるね。面白いんだこれが。