アイホシモドキはもっと評価されるべき

これ↓と
http://genki01.cc.hokudai.ac.jp/reo/diary/?date=20051224
それに対する反応であるところのこれ↓
http://fiancetank.net/note/archives/2006/12/06/2355.htmlを読んだのだけど。
や、実のところ上記の記事とはあまり関係ないのだけど。というかどの本も読んだことないのだけど。
性的にマイノリティなわけでもオタク少年であるわけでもないがね、非暴力的で内罰傾向が強い主人公という点で言や、週間少年チャンピオンで先ごろ復活し現在連載中であるところの『アイホシモドキ』もそういう主人公だよね。

内罰少年のファンタジー


最初は俺ってば主人公とヒロインが同じ顔のラブ米とかまたしても女装とかモドキ君は本当にどMだなあとか地味ながら実にチャンピオンな漫画として作品を把握しつつ、どうしてか俺はこの話しがたいへん好きであることだなあ思ってたのだ。


アイホシモドキという作品は、だいたいが弱々しい主人公元木君がわけもなく殴られ、それをヒロインの相星さんに鼻で笑われ、奮起して今度は自分から殴られに行き、案の定もっと殴られ、けれど相星さんにその根性を認めてもらえる、というような話だ。
それで、まあ元木君のキャラクターは少年誌ラブコメの主人公像からしてそう意外なものではないです。ただヒロインの相星さんがちょっとかわってる。


相星さんは目付き極悪で鬼短気な武闘派の女の子であり、自懲自罰が大好きな元木君にとって自分を睨み付けぶん殴ってくれる彼女は、まさしく運命の人。SとMとかご主人様と犬みたいな意味で。
ところがこの相星さんと元木君は顔がそっくりなの。ほいで元木君は相星さんのモドキと言われてしまうのがタイトルの由来であり、ま、それはともかく。通常の少年誌ラブコメでは主人公の目的は他者(というかヒロイン)に認められることにあるわけだけれど、アイホシモドキにおいて、ヒロインに認めてもらう事は自分で自分を認めてあげる事と完全にイコールになっている。だって同じ顔だし。
実のところモドキなのは相星さんのほうなわけか。当たり前だよな主人公は元木君なんだから。けれど元木君は自分を肯定できないからモドキの地位に甘んじてねばならぬ、と。
相星さんは、“ダメな僕になぜか女の子が”である以上に、正しく「自分を責める自分」の具現化であり、アイホシモドキという作品は“自分を責めることでより良くなる”と言う内罰少年の為のファンタジーであるのだ。
まあもちろん自分を責めてるだけで物事が上手く回るようになるわけないけれど、悪者をやっつければ全て上手くいくという作品だって同程度に歪んでるし、だいたい元木君だって自分を責めてるだけじゃなくもっといろいろ行動してます。そこはあくまでひとつの側面としてそういう部分があると思ってもらいたい。


で、そんな作品を読めばだ。因果な性向の少年も読んでる間は自己肯定感を得られるだろうし、あるいは自責欲求のはけ口ともなり、最終的にはそうした自分を乗り越えるため*1のお手本と成る、かもしれない。多分。
まあ、そこまでいろいろできるほどの力は必ずしもマンガにゃないけど、なんにせよ自分と同じようなネクラな奴がいい想いをしてるマンガがあれば、少しだけ気が楽になるんでないかと思うわけで。


といったわけで、こうした非攻撃的・内罰的な少年の心を肩代わりしてくれる漫画が、曲がりなりにも週間少年誌に載っているということは、僕らの世の中にとってとてもよいことだと思いますです。

あと


あれだ、以前元木君を桑田乃梨子の言を引用して“幸不幸表裏一体型”の人生って言ったことがあるのだけれど、するてーと、元木君をたとえば犬神君と同じ位置に置くなら、相星さんは歪谷と泉田さんが融合したものなのか。おお、なるほど。

*1:別に否定するわけではない