それでも町は廻っている』の1巻を読む。いかんですね、面白すぎじゃ。読まないかん物がたくさんあるというのに。
それはそうとあれこれ動かすにはゆるいほうがいいという話。
アニメは詳しくないのですが、止め絵で見得を切ってバシッと決まるキャラや皮膚や筋肉を意識したリアルなデザインのキャラよりも、もっと簡素なデザインのキャラのほうがめちゃめちゃにアニメートするのには向いているなんて話はよく耳にします。そんなキャラデザの方が、崩れた表情や、時にはリアリティを度外視した表現を受け容れる余裕があるとか。
さてさて。それ町はマンガですが、主人公の歩鳥の簡素なデザインとよく動く表情にはアニメにおけるそれと同じ理屈を感じます。またのみならず、歩鳥のゆるい脳みそとエキセントリックな行動にも同じものを感じるのです。


それ町はバカ駆動の漫画です。バカが常軌を逸した行動をとってくれるので話がころころ転がっていく。ドラえもんもそうだし、アニメ版の時をかける少女もそう。パッと思いつかないけどカートゥーンのキャラとかも大概そうでしょう。
放り込んだアイデアに対して、登場人物に何らかのアクションをおこさせたい時、その登場人物がバカでないと選択肢が極端に狭まってしまいます。例えば道に穴が空いていたとして、まともな脳みそのあるキャラであればよけるか、よくてもまたぐ程度でしょう。あえてまともなキャラクターにそれ以外のアクションを起こさせる場合には、それ相応のモチベーションを立ててやらねばなりませんし、しかも一度特定のモチベーションを作ってしまうとそれと対応する特定のアクションしか起こす事が出来なくなります。
けれどバカは何の理由もなくとも穴に落ちます。それだけでなく、穴をよけようとしてやっぱり穴に落ちることも、穴に橋を架けることも、穴に向かって叫ぶことも、不必要なほど大回りして穴を避けることも、どのような逸脱的行動も自在にとることが出来るのであります。これはバカと言うキャラ類型が脳みそとともに人格においてもゆるーく出来上がっている事によるものであり、ゆるさというものはアクションの自由さを保障するのです。