改・改訂『ダークナイト ライジング』感想/ブルース・ウェインの伝記と怪人だらけの都市攻防戦

けっこう期待して見に行ったんですけどちゃんと面白かったです。3時間近くあるのにダレない。ブルース・ウェインという人間の挫折と反撃と、武威と暴力を体現する怪人ベインの都市攻略戦とが、それぞれ見所があります。あとアン・ハサウェイが絶品。総合的には3部作で一番好きです。

ブルース・ウェインの話

ライジングのブルース・ウェインは徹底してヒーローたり得ない人物として描かれてました。
生きがいを見いだせずに屋敷に引きこもり、執事のアルフレッドにお母さんみたいなお説教をもらいながら暮らしています。死んだ幼なじみにすげえ執着していて、ふたりでてくる女性キャラの両方ともに裏切られます。本作におけるブルースの振る舞いは喜劇的ですげえ笑えます。
そしてブルースウェインを確かにブルースウェインと認識しているんですけど、同時にこの甘ったれで情けなくて顎のラインがシャープな細面の男が、とてもブルース・ウェインには見えない、今まで見たことのない、知らない男に変わっていきます。


いやがらせのオーソリティーとして高名なジョーカーに正義とヒーローの不可能性をつき付けられ、それに対してヒーローになれなくても頑張れるやつがホントのヒーローなんだよ畜生!ってなったのが前作『ダークナイト』のラストでした。それを受けての本作『ダークナイト ライジング』なわけですが、ヒーローを描きながらもかならずしもその人物がヒーローであることが保証されていない物語って、それはなんなのかって言えば伝記であるわけです。


無謬のヒーローとしてのバットマンはすでにジョーカーとの戦いで失われ、ブルース・ウェインはすでにヒーローじゃなくなった人として映画の中に登場してきます。
そのため、本作においてブルース・ウェインのまえに彼が解決すべき課題として提示されるのは、ヒーローとしてではなく人間としての彼の破綻した生活と人生なんすよね。
ブルースが乗り越えるべき諸問題って悪役のベイン他とは全然関係ない彼個人の人生における問題で、だもんで悪役との最後の決着はまあ若干盛り上がりにかけます。ブルース・ウェインの抱えた問題の解決が悪役への勝利につながったりとかはしません(じゃあなんで勝てたのかって言ったら例のおもしろバイクの性能が鬼畜だからですよねー。タンブラー強奪して喜んでる場合じゃなかったんや!)。


けれど、悪役と戦う正義のヒーローであること、つまりバットマンである事を前提としないブルース・ウェインの人生を描けたこと、そんでそれを通じてこのノーランバットマンって言うシリーズの中にしかいない、いろんな作品背景から自立した、はじめて知り合いになるブルース・ウェインていうキャラクターを生み出せた事は3部作の成果なんじゃないかなーと思います。こいつのことが好きになりますもん。ラストシーンでブルースに彼女ができてたときには素直にああよかったじゃんブルースって思えました。彼女が出来たのを祝福できる主人公はよい主人公だと思います。


んで、そうして人間としてのブルース・ウェインと、途中でやっぱりコイツも人間的な人間であったことが明らかになった悪役ベインとの、双方が全力を尽くして争った果てに、あのまさしくカートゥーンじみた奇跡の一瞬があらわれるわけですよー。
あの光景は誰かが意図したものでない、たまたまあらわれた一瞬の幻に過ぎませんけど、だからこそ生身のノーラン版ブルース・ウェインから自由になったパーフェクトな理想のバットマン像を映し出すことが出来ており、そしてなおかつ壮大なギャグでもありました。
あとはそれをどんだけ前向きに捉えられるかっていう演出マジックの勝負ですが、そういう点でもうまいこと描き出せていたんじゃないでしょうか。
あのまるっきりマンガみたいな光景は、目指してあがくに足るものとして、いつか誰かにとってのヒーローになるすべての人の代表であるブレイク刑事の励みになりました。爆発オチの壮絶なアホらしさとあわせてみると、ジョーカーがあれを見たらすごく悔しがったんじゃないかと思います。

ベインの話

それはそうともうひとつの見所はもちろんベインの都市攻略ですよ。
僕は押井守に明るくありませんのでパト2や甲殻との比較はだれかにお願いするとして、ええと、「怪人だらけの都市攻防戦」って言う類型があるんです。『HELLSING』の死都ロンドン最終決戦、『エアマスター』のvs黒正義誠意連合編、『ブラックラグーン』のロベルタ復讐編、『バッカーノ!』のフライング・プッシーフット号事件みたいな。例に挙げた話全部面白いですけど。


いろんな人々が暮らす都市的な空間が範囲を限定されたバトルフィールドへ変貌し、そこに同じ思想を共有し徹底的に訓練された強力無比の軍隊がなだれ込んで猛威をふるうんですが、散発的に抵抗してくる都市の住人への対応をしているうちに、紛れ込んでいたぶっちぎりでヤバイ闘争の化身に一人また一人と狩られていきついに壊滅にいたる、ってのがこの手の話のプロットです。
本作もこの話の変形ですね。
その上でよく工夫されてるのは、カーチェイスがくりひろげられる地表、ザ・バットがビルの狭間を縫って飛ぶ上空、ベイン率いる傭兵が巣食う地下、という具合にゴッサムという都市を縦横無尽かつ立体的に描き出したことで、それをついに、地獄の軍団の召喚者たるベインがその秩序を崩壊させ、ひっくり返し、無茶苦茶にするときの高揚ったらないです。ゴッサム崩しという大作戦が理にかなった構造と相応の説得力を伴って、大迫力のビジュアルにあらわされてました。
地下層から崩壊して地獄と化す都市っていう絵面は、『ニンジャスレイヤー』の第2部最終章「キョート:ヘル・オン・アース」の序破急の破「ライジング・タイド」での都市下層からあふれ出るヨタモノですとか、『薔薇のマリア』4巻の都市地下ダンジョンからあふれ出るトカゲ人間ですとかでも見られた光景といえますか。


ベイン個人もなかなか魅力的なキャラクターです。都市の汚濁の浄化者としての役割があとから出てきたタリアのほうに割り振られた事で、ベインはヘル・オン・アースの大将としてシンプルな存在であったことがわかります。そして彼がすでに自分の役割を終えていたということ、彼が奈落の底の悪鬼としての自分からついに抜け出せなかったということ、彼が自らが自分の主であるタリアによって滅ぼされるべき悪であると知っていたということも。
その分、正体バレ後のタリアにはもっとはっちゃけてよかったと思いますけどねー。デスレース2000みたいに魔改造タンブラーで一般人をひき殺しまくりながらカーチェイスするくらいして欲しかったです。まあ、その後にまた山場があるので不満というほどではないですけど。


それより惜しかったと思うのは、ゴッサムがちょろ過ぎるとこではないでしょうかー。
この手の話って普通もうちょっと散発的な抵抗にあうんですよ。それが少ないのはベインが自分の兵力によって都市を制圧するのではなく、都市の下層を覚醒させて都市内部で食い合いを起こすように仕向けているからであり、その闘争自体には答えを設けないあたりも趣味がいいといえます。
言えますがしかし、それにしたってゴッサムという街は、かつてバットマンの名誉とゴードンのプライドとデントの命とを引き換えにすることで何とか押さえつけることが出来たこの街のカオスは、そんな生易しいものだったのかしらん、と思うわけです。
ゴッサムにはもっと懐の深いところを見せて欲しかったし、なんでそれが見られなかったのかといえば、理由はヒース・レジャーが死んだっていう外部的な要因なんですよー。それがほんとに惜しいとこだと思うんデスよね。

あ、

不殺ヒーローのその後の人生の話ってそれよく考えてみると魔術士オーフェン原大陸編じゃーないですか。怪人だらけの都市攻防戦inトトカンタとかもうわー想像するとなんかすごいありえそうではありますね。