君の後ろに武士がいる

週間少年サンデーで地味に連載中の『道士郎でござる』が地味に毎回面白い。これは良作。

道士郎でござる 6 (少年サンデーコミックス)
作者:西森博之
出版社:小学館

あらすじ→アメリカはネバダ州から勘違い武士、桐生道士郎がやってきた。成り行きで道士郎の“殿”になってしまった普通の人、小坂健介は、自分及び地球のみんなの平和を守るため、道士郎の奇行につきあう羽目に・・・。

(以降ネタバレあり解説)





この作品がエンタメと別のところで面白いのは(もちろんエンタメとしても面白いけど)、主人公がしばしば間に合わない・役に立たないところです。VS級長会編では道士郎と健介は最後まで合流できず、道士郎の影響で悪党を卒業した中学生は抱えたトラブルに道士郎の手を借りることを拒み、夜の街をさまようヒロインを健介は見つけ出すことができない。こいつらは誰にも助けてもらえず、誰にも評価してもらえない戦いを一人でやってるわけです。
よく考えてみるとそんな事態はごく当たり前の事で、現実にはヒーローなんていやしないし、応援してくれる人さえいない事が多い。頑張って何かを成し遂げても、それを誰かが見ていてくれるとは限らないし、失敗すれば言わずもがなです。まったく、人知れずよいことをするなんて時間の無駄もいいとこです。
・・・がしかし、『道士郎でござる』の登場人物たちはそれでも頑張る事をやめない。ヒーローがやってこない/ヒーローになることができない状況でも己が道を貫ける、そんなヒーローならぬヒーローこそが、本作で西森博之が描こうとしているものです。
しかもえらいのはちゃんと回答例が示されてることで、主人公たちが頑張れる理由は二つ。①「いつでも見ている」(道士郎 1巻p.66)と②「道士郎は疑う余地もないよ」(健介 5巻p.165)です。①のように道士郎はその場にいない友人達の視線を常に感じており、だからこそ常に道をつらぬく事ができる。道士郎に影響を受けた中学生達が善行をなす前に道士郎のシルエットがもやもやと浮かぶのも、C組級長の鈴淵君やひきこもりの人が扉の向こうに武士がいるという妄想にとらわれてしまうのも、常に武士の存在を感じているという意味で同じ理屈です。一方②で健介は級長会との戦いに現れなかった道士郎をそれでも完全に信頼しています。頑張った証拠なんかなくても友人を信じている。道士郎がしばしば勘に従って行動しているのも同じ理屈です。
道士郎でござる』では、「誰かが見ていると思って頑張る」と「見てはいないけど信じる」の2つが表裏一体となって登場人物達の行動を支えています。ともに有益な提言ですが、特に前者は僕らもたった今からでも心がけることができます。自分の背中に般若顔の武士がいるとイメージし、ゾクっと来たらスタート。世直しは読者のひとりひとりから。武士はどこにでもいる!いないけどいる!ってなわけで。


続編書きました。
続・君の後ろに武士がいる
http://d.hatena.ne.jp/hatikaduki/20051119


道士郎批評リンク
http://d.hatena.ne.jp/hatikaduki/20051118